「貧乏ゆすり」という言葉がある。

ネガティブな印象が植え付けられているが、特に疑問をもつことはなく、言葉どおりそのまま受け入れていた。

子どものころに、親に「貧乏ゆすりをするな」と怒られていたころが懐かしい。


貧乏ゆすりという言葉が生まれた理由は、当時、貧しかったひとが寒くて震えていたからだと考えられるが、

栄養が十分にとれず体温を維持できなかったり、洋服の重ね着が不十分など、貧しかった昭和の時代とくらべ、現在でも貧乏ゆすりをしてしまうことに、貧乏と結びつけるのは、対策を見誤るのではないかと思う。


こういうことを考えるきっかけとなったのは、僕が冷え性だから。

いままで、手足の末端が冷えてる事実があっても冷え性として認識することを拒否していた。(なんでだろう?)

だが、健康に気を使い始めると、事実を事実として素直に受け入れざるを得なくなり、この冷え性が気になってしょうがない。


冷え性対策として、足の筋肉を鍛えること、適度な運動を心がけることを勧められている。

それで、貧乏ゆすりの話に戻るのだけど、貧乏ゆすりは、冷え性対策としておこなっている自衛反応ではないかと思うようになった。


もし、貧乏ゆすりをしてしまいがちであれば、これは身体が警告を発していると捉え、身体をチェックしてみるといいかもしれない。


原因は冷え性だけではないと思うが、警告として考えて差し支えないものだと思う。